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大塚窪町に住んでゐる間に妻が病氣になつた。轉地を要するといふので相模の三浦半島に移り住んだ。大正三年の二月末であつた。そして其處で詠んだものを輯めたのが『砂丘』である。これにはいかにも物蔭に隱れて勞れを休めてゐるといふ樣な、か弱い感傷から詠まれたものが大部分を占めて居る。春の末から夏にかけての景象を歌つたものが多く、いはゞ「夏の疲勞」とも謂ふべき歌集であつた。前に『路上』を出した博信堂主人が一度悉く失敗した後、琴の音譜の本を出して大いに當て日本橋の方に引越して開業してゐる店から出版したのであつた。今でもその當時の樣にこの店が繁昌してゐるかどうか其後一向に消息をしらない。 田舍に生れ、貧乏で育つて來た故、餘り眼ざましい御馳走を竝べられると膽が冷えて、食慾を失ふおそれがある。まことに勿體(もつたい)ない。ないがしろにされるのは無論いやだが、徒らに氣の毒なおもひをさせられるのも心苦しい。 飯の時には炊きたてのに、なま卵があれば結構である。それに朝ならば味噌汁。 春はやく咲き出でし花のしらうめの褪せゆく頃ぞわびしかりける 花のうちにさかり久しといふうめのさけるすがたのあはれなるかも ところが今年はまだ一首もこの花の歌を作らない。もう二月も末、恐らくこの儘(まま)に過ぎてしまふ事であらう。朝夕の惶しさがこの靜かな花に向ふ事を許さぬのである。